こんにちは。井上ひろみです。
この記事を読み終える頃には、きっとこんな問いが頭に残っていると思います。
「自分が当たり前だと思い込んでいることの中に、実は自分で自分の可能性を狭めてしまっているものがあるんじゃないか?」
これ、文化の違いとか海外生活とか、そういう特別な話に聞こえるかもしれないのですが、実は誰にでも起きていることなんです。
職場での「主体性」という言葉の捉え方の違いとか、夫婦や親子での会話のすれ違いとか。そして何より「自分にはもう無理だろう」「この経歴じゃ難しいだろう」という、自分自身に対する思い込みとか、あなたにもありませんか?
私自身、学歴もなく、資格もなく、ブランク12年の専業主婦から社会に戻った人間です。その私が3年で管理職になり、8拠点を束ねるプロジェクトリーダー(MG)になり、大企業の社長たちから信頼していただけるところまで来られたのは、特別な才能があったからじゃありません。
「自分には無理」という、自分の中の当たり前を一つひとつ「それって本当なの?」と疑い続けてきたからなんです。
そのきっかけになった、ある何気ない会話の話からはじめさせてください。
日本に帰国してから、時々「逆カルチャーショック」のようなものを感じることがあります。海外生活が長かったからでしょうか。文化や習慣の違いというよりも、もっと不思議な感覚なんです。
同じ日本語を話しているのに、会話が噛み合わない。しかも、それが外国人との会話ではなく、日本人同士の会話だったりするんです。
今回は、そんな出来事の一つをお話ししたいと思います。
きっかけは「奨学金」という言葉でした
帰国した頃、周りには大学進学を控えたお子さんを持つ友人がたくさんいました。
ある日、何気ない会話の中で、こんな話になったんです。
「うちは奨学金が降りたから」
その言葉を聞いた私は、素直に驚きました。
「みんなのお子さん、そんなに優秀なの?」
本気でそう思ったんです。
今振り返ると少しおかしな話なんですが、その時の私は全く疑問を持っていませんでした。なぜなら、私の中で「奨学金」という言葉は、ずっと別の意味を持っていたからです。
香港に住んでいた時、娘も大学で奨学金をいただいていました。
ありがたいことに、成績優秀者向けの授業料免除の奨学金を二度受けることができましたし、海外での長期インターンシップに参加した際には、渡航費や住居費の補助も受けていました。もちろん返済の必要はありません。
娘が高校生の頃から努力している姿を見ていたので、親として本当に嬉しかったのを覚えています。授業料が免除されたこともありがたかったんですが、それ以上に、娘の頑張りが評価されたような気持ちになったんですよね。
香港の大学は競争も激しくて、周囲には本当に優秀な学生がたくさんいます。課題や試験に追われながらも、インターンシップや課外活動に挑戦する学生も少なくありません。そうした環境の中で得た奨学金は、私にとって娘の「努力の証」のようなものでした。
だからこそ、奨学金という言葉を聞くと、私は自然とそのイメージを思い浮かべていたんです。
会話が噛み合わない
ところが、日本で友人たちの話を聞いていると、どうも会話が噛み合いません。
「返済が結構大変みたい」「20年くらいかけて返すことになるかな」
そんな話が続きます。
私は混乱しました。
「えっ? 奨学金なのに返済するの?」
そこではじめて、自分が思い描いていた奨学金と、日本で一般的に使われている奨学金が別物だったことを知りました。
海外では、
Scholarship(奨学金)=返済不要
Student Loan(学生ローン)=返済必要
という形で言葉が明確に分かれています。
一方、日本では貸与型の学資支援も「奨学金」と呼ばれています。
つまり私が友人たちから聞いていたのは、子どもたちの教育費をどう準備するかという話であり、将来どう返済していくかという話だったんですよね。
ここで制度の良し悪しを論じたいわけではありません。
実際、日本の奨学金制度によって、大学進学の機会を得ている学生もたくさんいます。
むしろ私が興味深いと思ったのは、別のことでした。
同じ言葉を使っているのに、見ている世界が全く違っていたこと。
そして、その違いにお互い気づいていなかったことです。
人は「言葉」ではなく「前提」で会話している
私は日本人です。日本語も話します。だから、日本のことは分かっているつもりでした。
でも25年という時間は、思っていた以上に長かったのかもしれません。
気がつけば、自分の中の常識は少しずつ別の場所で作られていたんです。
そして、この出来事は私に改めて大切なことを教えてくれました。
人は言葉で会話しているようで、実は「前提」で会話している、ということです。
同じ言葉を使っていても、その言葉の背景にある経験や価値観が違えば、思い浮かべるものも変わります。
これは海外生活だけの話ではありません。職場でもよく起こります。
例えば「主体性」という言葉。
ある人は、自分から提案することだと考えているかもしれません。
別の人は、指示されたことを責任を持って最後までやり切ることだと思っているかもしれません。
どちらも間違いではありません。でも、お互いが同じ意味で話していると思い込むと、すれ違いが生まれます。
世代間ギャップもそうです。夫婦の会話もそうです。親子関係もそうです。
同じ言葉を使っているからこそ、分かり合えていると思ってしまう。
でも実際には、見ている世界が違うことは少なくないんですよね。
本当に難しいのは、自分の常識を疑うこと
海外で暮らしていると、文化の違いがあることを前提に人と接します。だから「違いがあるかもしれない」と自然に考えるんです。
ところが同じ国の人同士だと、違いがあると思わない。そこに、思い込みが生まれます。
私は異文化マネジメントの仕事にも関わってきましたが、本当に難しいのは外国人とのコミュニケーションではなく、自分の常識を疑うことなのかもしれません。
「自分が当たり前だと思っていること」や「自分が正しいと思っていること」それは実は、たまたま自分が生きてきた環境の中で作られた価値観に過ぎないかもしれない。
そう考えられるようになると、世界の見え方は少し変わります。
相手を理解しようとする余白も生まれます。
あなたの蓋を開ける方法
ここまでが「理由」です。
では、その「自分で気づいていない前提」に、どうやって気づき、外していけばいいのか。私自身が実際にやってきたことから、3つお伝えしたいと思います。
1. 「事実」と「思い込み」を、紙に書いて分けてみる
「ブランクがあるから評価されない」「学歴がないから無理」――こういう言葉、頭の中で考えているだけだと、事実のように思えてしまうんです。
でも実際に紙に書き出してみると、「学歴がない」は事実、「だから無理」はただの思い込み、ということがよくあります。
事実と思い込みを分けるだけで、「あれ、これって本当にそうなのかな?」と疑える隙間が生まれます。
2. 自分と違う前提を持つ人に、意図的に話を聞きに行く
私が奨学金の言葉の違いに気づけたのは、友人たちとの何気ない会話があったからです。自分と同じ環境、同じ価値観の人とだけ話していると、前提のズレにはなかなか気づけません。
違う業界、違う立場、違う生き方をしてきた人に、意図的に話を聞きに行く。それだけで、自分の「当たり前」が浮き彫りになります。
3. 確信が持てなくても、まず小さく動いてみる
正直に言うと、私は専業主婦だった頃、海外で働くキャリアウーマンを見て「かっこいい」と思っていて、別の次元にいる人という感覚でした。でも、誰もが知っている企業の経営層、トップの方々と仕事をするようになるなんて、最初は全く想像もしてませんでしたし、確信も微塵もありませんでした。
「自分には無理」という思い込みは、頭の中で考えているだけでは消えないんです。でも、確信がないまま小さく一歩動いてみると、「あれ、意外とできた」という事実が一つ積み上がります。その積み重ねが、思い込みを少しずつ崩していきます。
蓋というのは、考えて外すというより、動きながら外れていくものなのかもしれません。
まとめ
今日お話ししたことを、簡単にまとめますね。
人は、言葉ではなく「前提」で会話しています。だから、同じ言葉を使っていても、見ている世界が違うことに、お互い気づいていないことがあります。
そしてこれは、他人との会話だけでなく、自分自身に対しても起きています。
「自分にはもう無理だろう」という前提も、たまたま自分が生きてきた環境の中で作られた思い込みに過ぎないのでしょう。
その蓋を外す方法は、
①事実と思い込みを分けて書き出す
②違う前提を持つ人に話を聞きに行く
③確信がなくても、まず小さく動いてみる
この3つです。
帰国してから、私は奨学金以外にもたくさんの「知らなかった日本」に出会いました。働き方のこと、キャリアのこと、お金のこと、子育てのこと…いっぱいあります。そのたびに思うのです。世界を広げるとは、海外へ行くことだけじゃない。新しい知識を増やすことだけでもない。
自分の当たり前を、一度見直してみること。
それもまた、世界を広げることであり、自分が納得できる人生に近づく一歩なんだと思います。
皆さんには、最近「自分の当たり前が当たり前ではなかった」と感じた経験はありますか。
もしあれば、ぜひコメントで聞かせてください。
枠を出て 可能性を拓く
井上 ひろみ

井上ひろみさん、
初めまして!「可能性に蓋」というトピックが目に留まり、読ませていただきました。奨学金の意味が違うんですね!
ぼくもSubstackで発信を頑張っているので、一緒に盛り上げていけたらと思い応援させていただきます。また遊びに来ます!